スリランカで異文化体験もう十何年も前の事、スリランカに一年滞在する事になった。かなり前の事で記憶も定かでは無い部分が多いが、思い出せる範囲で記録を残しておきたい。 当時高校生だった私はアメリカ留学に憧れていた。きっかけはアメリカの青春映画、英語を喋れるようになりたい、外国の生活を見てみたい、、、などだった。 AFSという国際交換留学協会のテストを受けることになった。AFSは世界50カ国程の国が参加する国際ボランティア団体で非営利な民間組織である。 日本全国5カ所ほどの会場でテストが行われる。当時合格者は全国で250名、半数がアメリカへ、4分の一がオーストラリアとニュージーランド、残りがヨーロッパ、南米へ、ほんの少数がアジアへ振り分けられる。 まさか自分がその少数派に振り分けられるとは思っても見なかった。 筆記一次試験に合格後、二次試験の面接があった。受験生二人ずつ三人の面接官の前で質疑応答があった。私とペアを組んだのは同じ名字のJ子ちゃん。はきはき質問に答える優等生タイプの子だった。 私のへんてこな答えには面接官が何度も笑った。 最後のどこの国に行きたいですかとの面接官の質問に 私『どこでもいいです。』 J子ちゃん『スリランカに行きたいです。』 面接官『どうしてですか?』 J子ちゃん『私の高校にスリランカから来ている留学生がいます。彼女とはボランティアクラブで活動を共にしていますが、とても心のきれいな人なのです。そのような純粋な心を持った彼女が育った国を見てみたいのです。』 私は彼女の答えにすごくびっくりした。素晴らしすぎる!私が面接官だったら彼女を即合格、間抜けな答えをする私を不合格にする。 そして恥ずかしながら、当時の私はスリランカがどこにあるのか定かでは無かった。さらにスリランカの英語の綴り方も知らなかったのである。 数週間後、合格通知とともに行き先決定のお知らせ。 『あなたの留学先はスリランカに決まりました。』 びっくりしたのと同時に、これは何かの間違いだと思った。あの時私はスリランカのスの字も口にしていない。同じ名字のJ子ちゃんと間違われているのだと思った。 心配した母は直接AFS日本協会に話を聞きにいった。 説明は、『派遣国決定は間違いではありません、我々はお宅のお子さんがアジアでもやっていけると確信したのでそう決定したのです。J子さんは国籍の問題があって合格しても派遣国が無いのです。』とのことだった。 J子ちゃんは北朝鮮国籍が絡んでいるとかで、もしうまくいってもアメリカに半年が限度とのことだった。 その後も迷っている私に、父は『スリランカだからという理由で断るのは失礼ではないか。とりあえず行ってみたらどうか。』と進言した。 私は『それもそうだね、AFSの目的は国際交流、異文化体験だもんね、いってくるわ。』とあっさり決めた。 準備期間は無かった。近所のかかりつけの医師には『そんな国にいくのに肝炎ワクチンも打たないで行くのですか?』とびっくりされた。そう、それほど時間が無かったのだ。 出発当日まで家族と離れてそんな国に一年暮らすのが信じられなかった。 家族全員に空港まで送ってもらう車の中でも、『どうしてスリランカなんだろう?』ってずーっと考えていた。 私の滞在中もタミール人のテロ攻撃、飛行機に爆弾が仕掛けられて日本人の新婚カップルも亡くなったりと国の情勢は悪化する一方だった。よくそんなところに娘を送り込むなあと両親と寛大な愛と勇気には感謝する。 私の帰国後一年でスリランカへの派遣は終わった。危険すぎるからだ。 そうは言っても、田舎に住んでいたのでそんな危険とは全く関係のない生活を楽しんだ。あちらでの生活はまさに異文化体験の連続。貴重な一年間だった。ホストファミリーとの交流もまだある。 ポルトガルに来てあの時見えなかった糸がつながったのだ。 日本ースリランカーポルトガル。 ポルトガル最南端の港町ゴールで、ポルトガル人が作った要塞の上に立ち海を眺めたことを思い出す。 |